asaokitan's diary

ここは日記なのでお役立ち情報はありません。

一週間を失敗裡に乗り切った

一週間を失敗裡に乗り切った(「乗り切れなかった」ともいう)(が、とにかく一週間が終わり、生きているのだから、それだけでハッピーなのではないだろうか)(「成功裡に」は、わりと副詞フォーカスっぽいけどいまいち副詞フォーカスになりきれていない感じの日本語だ)(韓国語の 성공적[成功的]으로 こそが本場の副詞フォーカスのような感じがする)(が、성공적으로 と「成功裡に」に性質の違いがあるのだろうか)。のどのいたさがピークったため午前中はお休みした。午後は働いた(午後のおしごとは、もちろん休むときは休まざるを得ないのだが、日程の組み直しとかが厄介になるため、無理にでも出て行きがち)(よくない)。のどの痛みは昔は発熱とかの前兆だったと思うんだけど最近、発熱フェーズがうやむやなまま終わることが多い。今回も第二形態に進まないでほしいが…。

おなか伊丹市おくすり能美市 早く治ると飯山市

語学(ごが)けない。疲れていても読めるものと、読めないものがある。微分方程式ヘーゲルなどが後者である(疲れていないときは読めるとは言っていない)。根を詰めるとあとでブチる。きびしい。どこで差がついたのか。慢心、環境の違い、生得的な違い…。

旅情イオンモール

タイトルにはいつもどおり意味が無い(いつもどおりというほど定番化はしていない)のだが、最近がんばってチャリる(日もある)のだが、疲れすぎてパフォーマンスに影響している気がしてならない。うーん。コの調子が悪いのもそのせいもあるかもしれない(コはコミュニケーション)。むつかしい。

海の日なので海に行った

海の日だからというわけではないが海に行った。今日は曇りで気温はそこまで暴騰せず、まだましで良かった。「海に行った」の「海」に対応する英語は beach である、という話を前にした(海が実際に beach と訳されている看板が逗子の駅にあるようだ)が、beach には行っていない。いずれにしても、「海に行った」というときの「海」は「海」にきわめて近い陸地を含むようであり、実際に海面上、海水中に入らなくても 真理値が真になりそうという直感はある。

海(狭義の海)(つまり、狭義の海にきわめて近い陸地は含まない意味での海)(circularでは?)は、空と同様、歩けないという難点があり、タケコプター的なものの開発が待たれる。

ショパンの事情で演奏会は中止です

タイトルには全く意味がないのだけど、最近、旅に出るよりも、地図を見ている方が楽しい度が高まっていて、よくない。よくなくはないのだが、もともとインドアすぎて目がしょぼしょぼしているところへ、さらにインドア趣味が追加される形でよくない。外が暑いのも悪いと思う、ぜんぶ夏のせいだ。

エストニアに行きたいとか、北アイルランドに行きたいとかつぶやいているが(場所のチョイスの理由はわかるひとにだけわかるようになっている)、実際はエストニア北アイルランドに対して特に情熱があるわけではないので行く理由ができるまで行かないのだ。はー、どこか行く理由できないかな。「行く理由できないかな」っていうの、「ほしいものが、ほしいわ。」(糸井重里)的な転倒が起こっちゃってる感があって、あれだが、そういう時代なのだ。ぼくは旅先でマクドとか行くと観光警察に捕まるんじゃないかみたいなことには怯えないが、しかし、広い意味では、なんていったらいいんだろう、やりがい警察みたいなのに怯えているよね。

祇園祭だし神戸に行きたい

タイトルとは関係ないがジョシュア・グリーンの『モラル・トライブズ』を読んでいる。ぼくのなかでは『社会はなぜ右と左にわかれるのか』(「右と左に」だったか「左と右に」だったか、タイトルがいつも覚えられない)(いまも一度書いてから念のため検索した)(間違ってた)(『社会はなぜ左と右にわかれるのか』)と並んで、メタ左右その先へ行こう本(いこうぼん)の代表という位置づけだ。マルチエージェントな話は難しすぎるし政の悪さにぶつかりがちなので、なかなか余裕がないと考えられない。しかし今のところ『モラル・トライブズ』はなかなか面白くて(実際にはすごい期待させる面白さのところと、どういう流れでこの話をしているのか迷子になりがちなところとが混在している印象)、もっと知りたいという気持ちにさせる(過剰使役)。もっと(非死んだ目フリーセルな)時間があればいいのに、な。